入試問題集(2024年4月開設:スペース表現領域)
5/6

解答例解答例 滑走路の向こうに広がる原野では、どうやら雪が吹き荒れているようだ。目を凝らすと、吹雪で暗くかすんだ空間にときおり稲光が走るのが見えるが、目の前の分厚いガラスに遮断されてその雷鳴は聞こえない。飛行場の周辺は晴れているので、窓からは遠い黒雲の中の暗い吹雪と、その上空の冷たく晴れ渡った空の両方が同時に見える。その様子をもう何時間もぼんやりと眺めている。ようやく到着した飛行機は、あの雲の中を飛んできたのだろうか。ぼんやりと窓辺でまどろんでいるうちに、ピカピカの飛行機はいつの間にか目の前に停止していた。 私は傍らに置いたリュックサックを再び確認する。届け物はリュックサックの奥にしっかりとしまってある。何度見ても同じことなのはわかっているのに、届け物がきちんとそこにあり続けているか、それがいつも気になるのだ。気になり始めると、どうしてもその所在を確認しないと落ち着かない。それは今に始まったことではない。あらゆる場面で、私は「過去」とか「未来」とかいう無形の概念について疑念を抱いてしまう。例えば、ズボンのポケットに入れたコインを手で触れているうちは、確かにそこにコインがあることがわかる。けれど、ポケットから手を出してしまえば、本当にそこにコインがあるかどうか、わからなくなってしまう。 私の記憶にはポケットにコインを入れたという「過去」が焼きついているが、そうした記憶はすべて暗示のようなものでし 私は今、北の地にある小さな飛行場にいる。一面銀世界となった雪原に囲まれ、厳冬の寒さが私を貫いている。しかし、この寒さのなかにも、ほのかな温もりが心に宿る。それは、愛する姉の結婚式のため、遥か遠くのタヒチへと向かう旅への期待である。 タヒチ̶̶その名は、魂を揺さぶる楽園。ハワイ、ニュージーランド、イースター島と共に、ポリネシアントライアングルを形成する三角の中心に輝く島。ここは、タヒチから海を渡り、遠い島々へと広がっていったポリネシア文化の花開く地でもある。 母の影響で私たち姉妹は幼い頃からポリネシアダンスを習い、その美しきリズムに身を委ねてきた。そのためか、姉は特にポリネシアの文化に心を奪われ、結婚式は絶対にタヒチでと決めたようだった。 私は窓の外を見つめる。凍りついた滑走路が目に飛び込んでくる。いつ飛行機が現れるのか、心は高鳴りを抑えきれない。待つことは長く感じられた。コーヒーの温かさも冷めきり、手にした本も読み終わろうとしていた頃、ついに遠くの空に飛行機の姿が浮かび上がった。それはトロントからやってきた飛行機であり、私たちを遥かなタヒチへと運んでくれる航路の船であった。 飛行機が滑走路に着陸し、母と共に機内に足を踏み入れた。航空券を握りしめ、座席に身を預けると、心が高揚していくのがわかった。飛行機が離陸すると同時に、胸には自由の翼が広がっていくのを感じた。寒さと雪は遠ざかり、心は新たな世界へと解き放たれていく。かない。ポケットにコインを入れたかもしれないという暗示があり、もう一度ポケットの中に手を入れ、コインの感触を見つけた時初めて、私にとってそのコインは再び存在する。ポケットに手を入れて、その感触を見つけられないことを思うと恐ろしくてたまらないのだ。だから子供の頃の私はいつもコインを握りしめていた。家のお使いを頼まれる時、預かったコインは目的の店に着くまでぎゅっと握り続けていた。手の中で温かく湿ったコインを、店の主人に直接手渡すまでは、その感触を見失わないように、指をかたく結び続けた。 そろそろ機内への搭乗手続きが始まる。突然現れた飛行機はあの暗い雲の中をやってきたのか、それとも上空の凍るように澄んだ明るい空気を通過してきたのだろうか。いずれにしろ目の前の飛行機はなんらかの過去を経験して今ここにある。だけれど、その過去の実態はここにはない。あるのは滑走路の上に、こうして静かに留まっている機体の輝きだけだ。空港からの情報によれば、飛行機はこれから数時間で遠く離れた目的地に到着するらしい。私がこのベンチでまどろんでいたのと同じだけの時間で、私は遥か遠くのさらに寒い地域へ移動する。私と飛行機の未来はそのように描かれているが、やはりその実態はどこにも存在しない。私は本当にあの場所に行くのだろうか。あの場所に居るという現実を私は本当に経験するのだろうか。今はここに、私と飛行機という暗示があるだけだ。 タヒチへの飛行時間は長かった。おかげで、母との絆を深めることができた。笑いながら思い出を語り合い、時には感動に満ちた瞬間を共有した。そして数時間後、飛行機はフアヒネ空港に到着した。航空機から降り立つと、暖かな島風が私たちを迎えてくれた。広がる海!空!木々の緑!目の前に飛び込んでくる全てのものが照りつける太陽によってキラキラと輝いている。タヒチはまさに楽園そのものであった。私はふとゴーギャンの作品を思い返した。「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」 ヤシの木々が風に揺れ、その音が私の胸に響く。タヒチの美しい自然に魅了されながら、私はこの先のことを考えた。 姉は新たな門出を迎え、旅立ってゆく。子どもが生まれたら皆で大喜びするのだろうな。私はきっと人生を大好きな仕事に捧げて、休日には母と、時には姉夫婦と共に旅行に出かけるだろう。けれど母も歳をとって、いつかは別れなければならない。その時には姉と一緒に悲しみを分かち合うのだ。人生は短いようでいて、長い。この先、未知の辛さや苦しさ、悲しさに幾度となく直面するだろう。けれど、それと同じくらい、今日のように居ても立っても居られない程に嬉しい、素晴らしい日も訪れるはずだ。だから、美しいこの地で、今日という日を盛大に祝おうではないか!私は母と胸を弾ませながら、会場へ向かった。0203

元のページ  ../index.html#5

このブックを見る