広報誌No.198_
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ような活動をされたのですか。しばらくは実務経験を積むべくさまざまな修復工房でのインターンシップに参加していました。次第に「紙資料だけでなく、他の対象の修復技術も身につけたい」を思うようになります。そこで着目したのは、当時はまだ黎明期にあった写真修復の分野。アリナーリ写真美術館でその技術を学べると知り、門をたたきました。当時の写真修復の先進国といえばコダック社があったアメリカですが、そのコ修復家の資格を取得した後は、どのダック社の創業者の家であり、現在は世界最古の写真分野の博物館となっているジョージ・イーストマンハウスのコンサベーションセンター長が来館して教鞭を執ってくださったことも。近代的な写真の修復技法を学べました。─修復家としてフィールドを広げていったわけですね。はい。さらにアリナーリからの派遣制度を使って渡米し、ジョージ・イーストマンハウスにも赴きました。そこで1ヵ月間、写真修復を学びます。MoMAやメトロポリタン美術館など、有名な美術館の修復工房を訪れ、最先端の修復技術を目にすることができたのは貴重な経験でした。この時期に、修復家として自立するための土台が完成したように思います。目の前の作品を、自分の仕事を通じて後世に残していきたい。そんな使命感が芽生え始めた時期でもあります。ジョージ・イーストマンハウスでのインターンシップを終えると、再びアリナーリに戻りますが、出産を機に「時間を自分でコントロールしながら仕事をしていきたい」と、2004年に独立しました。紙資料から写真へ。修復の道を広げ、深める09─アリナーリ写真美術館にてアリナーリの古典写真技術ワークショップで使われた暗箱古典カメラジョージ・イーストマンハウスでの研修中に、古典撮影・現像技術のひとつ「アンブロタイプ」によって作った写真海外で活躍する女子美生たち 特別編Special Report1997 - 2003

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