広報誌No.198_
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入学を決めるに至ります。女子大ならではの安心感や落ち着いたキャンパスの雰囲気にも惹かれました。女子美での4年間を一言で表現するなら、私の基盤を築いてくれた時間です。印象に残っているのは、絵の具を作る授業。日本画の絵の具は石から作られますが、この工程を体験したのです。石を拾い集めて機械で粉砕し、ふるいにかけてまた細かく砕くことを繰り返していきます。一から手間ひまかけて画材を作る過程を肌で知ってからは「絵の具を無駄にしてはいけない」と、1本の線さえも今まで以上にていねいに描くようになりました。自分の好みに関わらず、制作課題を通じてさまざまな題材に向き合えたことも貴重な経験でした。あまりなじみがない対象も授業では描きます。その過程では自分の得意なことや好きなことが浮き彫りになるものです。これもまた大学で美術を学ぶ意義かもしれません。自分が好きな対象ばかりを描いているのでは、趣味と変わりませんから。とはいえ私が提出する作品は変化球ばかりでした。魚の課題が出されれば古代魚を、風景画ならすぐそばのドラム缶を描くといった始末。先生方は、そんな私をあたたかく見守ってくださいました。学生の自由な目線を大切にしてくれる大らかさもまた、女子美の良さだと思います。大学時代は私にとって模索の時代でもありました。大学の課題では具象を描く機会が多かったこともあり、自主的に抽象画を描いていたのです。当時の関心事は「心が目の前に現れたとしたら、どんな姿をしているのか」で、でき上がるのは暗い絵ばかり。観る人に響く作品とは程遠いものでした。率直に言って「絵を通じて感情を吐き出している」だけだったものの、描き続けるうちに「心」のモチーフが徐々に見えてきます。人間の心を描くからには、人物画がふさわしいだろう。描き手である自分は女性だから、女の人を描くのが一番偽りなく心を表現できるのではないか。そうやってたどり着いたのが、今でも描き続けている美人画でした。もうひとつ、鮮明に覚えていることがあります。それは卒業制作において、女の人が月を背負っている絵を描いたときのことです。はじめは女性の傍らに大小さまざまな抜け殻のようなものを散りばめていました。すると私の作品を目にした先生が「本当に描きたいものだけを描き、ほかは削ぎ落としなさい」と助言をくださったのです。絵を描くという行為は往々にして、色や形を加えていく「足し算」になりがちです。ところが、余計な情報を削っていく「引き算」もまた意識すべきなのだと。この教えは、今でも肝に銘じています。在学中には自分の作品がまったく日の目を見なかったため、「絵だけで生計を立てていくのは難しいだろう」と、作家への道をいったん断念。オーダーメイドジュエリーの会社で働く傍ら、副業として描き続けることにしました。お客さんからのオーダーに耳を傾け、ジュエリーをデザインしていると「相手が求めているものを表現してはどうか」と思うようになっていったのです。大学の頃にはなかった発想です。在学中には次々と展覧会の誘いがかかる同級生たちを見て、「自分の作品には何が足りないんだろう」と落ち込むこともありましたが、今振り返ると腑に落ちます。自分が表現したいものと、観る人が求めるものがぴたりと合ってこそ「作品」と呼べる。そう思い至ってからは、作風も変わり始めました。以前は黒い背景の絵ばかりでしたが、思い切って白に変えたのです。透き通った白い肌、黒髪、そして生きていることの証として唇に赤を少しだけ。この3色を基本として、できるだけシンプルに。

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