大学案内2025
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街ゆく人の日常着が、まだ和服だった明治の頃。女子教育は始まったばかりで、女子が自分の好きなこと……たとえば美術を専門的に学ぶだなんて、夢みたいだった時代。女子美が生まれたのは、そんな遠い遠い、昔のこと。そんな時代に日本で初めての女子のための美術学校を構想したのが、女子美創立者のひとり、横井玉子。当時としては画期的だった3つの建学の精神「芸術による女性の自立」「女性の社会的地位の向上」「専門の技術家・美術教師の養成」には、広い視野と男女平等の精神を持った玉子の強い想いが表れています。日本初の私立の美術学校で、日本初の女子のための美術学校でもある女子美は、明治から大正、昭和、平成、令和と時代が変わっても、変わらず女子のための美大であり続けています。美術を愛する、女子のために。これからもずっと変わらない、女子美の大切なアイデンティティ。女子美をつくったふたりの女性女子美の歴史YOKOI TamakoSATO Shizu357横井玉子(上)は、熱心な教育者。自身も洋画家から絵画を学んだ経験を持ち、美術に強い関心を寄せていました。東京美術学校(現・東京藝術大学)で教鞭を執っていた藤田文蔵(女子美設立後は初代校長に)とともに、女子美設立に情熱を燃やしましたが、設立後まもなく病に倒れてしまいました。順天堂医院長夫人だった佐藤志津(下)は、そんな玉子の最大の理解者で支援者。玉子亡きあと、初代校主、2代目校長に就任し、財政難に陥っていた学校の立て直しに力を注ぎました。

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