大学案内2026
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子どもの頃は、お菓子屋さんになりたかった母が絵を描く人だったので、その影響からか、小さい頃から絵を描くのは好きでしたね。母はかつて芸大をめざしていて、画家の野田弘志さんに師事していました。だからとにかく、異様なほどデッサン力が高いんです。今でも敵わない。でも、母から絵を教えてもらった記憶はありません。描いたものを褒めてもらっていたくらいかな。そんなように、絵は好きでしたが、当時はお菓子職人になりたくて、高校へは行かずお菓子屋さんに就職するか、専門学校に行きたいと思っていました。でも、母から「お菓子は見た目が大事。美術をもっと学ばないと、売れるお菓子は作れない」って言われて。うまいこと誘導されて、中学では美術部に入り、美術を学べる高校をめざして画塾にも入り、無事に(?)高校の芸術クラスに進学しました。美術の楽しさにめざめて、女子美へお菓子のために始めた美術でしたが、慣れるとどんどん楽しくなっていきました。入ってから気づきましたが、そもそも美大をめざすためのクラスだったこともあり、自然と美大に行きたいと思うように。ここでも先生方にうまいこと誘導されました。誘導には素直に従ってしまうタイプです(笑)。高2から油絵を専攻しましたが、自分の絵の方向性として(みやもと・はなこ) 1987年熊本県生まれ。2010年芸術学部絵画学科洋画専攻卒、2012年女子美術大学大学院美術研究科修士課程美術専攻洋画研究領域修了。大学院修了後、母校(高校)の美術教員を経て、2016年よりドイツ・ベルリンに渡り2023年に帰国。現在は熊本県荒尾市在住。ドイツ居住中の2020年より荒尾市にてアーティスト・イン・レジデンス「AIR motomoto」 を運用開始。また、荒尾市で開催された「万田坑芸術祭2023」では総合ディレクターを務めた。「VOCA展2025」で最高賞「VOCA賞」受賞。予備校では芸大、武蔵美、女子美を勧められました。そのなかでも特に女子美にと思ったのは、地元熊本の「熊本市現代美術館」の最初の館長が、女子美の教授でもあった南嶌宏先生だったこと。あとは、母から「あなたののんびりした性格では浪人は向いてない。それに浪人は受験のための絵を学んでいく時間。そのなかできっと失ってしまうものがある」と、助言されたのも大きかったですね。女子美は学校推薦があり、高校でがんばれば現役入学の見込みがありましたから、女子美だ!って。参加型作品で見えた創作の面白さ女子美では洋画専攻で学びました。1年生の頃はのんびり制作をしていましたが、ここでもどんどん作るのが楽しくなって、特に後半は、傍から見たらたぶん、ガツガツ制作美術作家私 に と っ て作 る こ と と 、生 き る こ と は 同 じOG SPECIAL INTERVI EW 02008宮 本 華 子

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