(2021年 4月取材 Photo:安川結子)011Q1. 子どもの頃に好きだったことは?絵を描いたり、空き箱などで工作をするのがとても好きでした。また、歳の近い弟が2人いるので、いつも3人で楽しく遊んでいました。木登りが好きで、家のまわりの低 木によく登ったりも。両 親のおかげで活発で元気いっぱいな子どもだったと思います。Q2. 子どもの頃に好きだった絵本は?通っていた幼稚園で外国の名作絵本をたくさん紹 介してくれ、そのすべてを両親が 買い与えてくれました。卒 園 後も、両親がいろいろな本を買ってくれましたが、なかでも好きだったのは『ひとまねこざる』(岩波書店、昭和50年代刊行のもの)『こすずめのぼうけん』『さむがりやのサンタ』。今でも海外名作絵本が大好きです。Q3. 女子美を選んだ理由は?小学生の頃から、漠然と美術の学校に進学したいと思っていました。高2の時に父を亡くし進路を悩んでいたなかで、母が「経済的なことは考えず、行きたい学校を目指しなさい」と、背中を押してくれました。女子美を選んだのは、実家から通える距 離だったことが 大きいです。経済的な理由だけでなく、ひとり暮らしが心配だったので……。そして、なるべく早く社会に出たい気持ちもあり、短大のグラフィックデザインを志望しました。Q4. 女子美時代の思い出は?当時はまだコンピューターが身近ではなく、すべてが 手 作 業、手 作りの授 業でした。また、興味のあったシュルレアリスムやポップアートも学べ、私にとっては最高に楽しい2年間でした。先生方だけでなく、友人たちからもいろいろなことを教えてもらいました。映画のこと、音楽のこと、漫画のこと、デッサンのこと。私も含め個性的な人ばかりでしたが、「絵を描くこと、何かを作ることが好き」という共通項で結ばれていました。お互いを尊重し合える気質があり、仲良しだけど束縛せず、ただただ自由に楽しく共存している感じで、本当に夢のように楽しい日々。この時間が終わり卒業してしまうことを、真剣に不安に思うくらいでした。Q5. 絵本作家をめざした理由は?卒業後は、学内の掲示板で見つけたテーマパークの装飾部門に就職しました。パーク内の装飾物を作るという仕事はとても楽しかったけれど、やっぱり自分で発想して作ることをしたくて、会社を辞めて絵本作家をめざし始めました。知り合いづてに小さなイラストカットの仕事をいただきながら、絵本コンテストに挑戦する日々。少しずつ入選できるようになった頃に、夫が「収入のことは考えず、絵本作家の道に集中したらいいよ」と背中を押してくれました。そこからさまざまな出会いがあり、29歳の時に『コバンツアーかぶしきがいしゃ』でデビューすることができました。Q6. ノラネコぐんだん誕生のきっかけは?ノラネコぐんだんは、もともとは4コマ漫画『がんばれ!ワンワンちゃん』のいち脇 役だったんです。『 がんば れ!ワンワンちゃん』は初めは地方の求人冊子で、その後白 泉 社 の 絵 本 雑 誌『MOE』に 移り、現在まで20年 以 上 続く長 寿 連 載 になっています。ノラネコぐんだんが 主 人 公 の 絵本が生まれたのは、白泉社の子育て雑誌『kodomoe』の 編 集 者 から提 案され たのがきっかけです。それから『kodomoe』の付録のために毎年新作を描き続けています。Q7. 作品づくりで大切にしていることは?「子どもたちが楽しい時間を過ごせるように」ということを大切に考えています。私自身、絵本はもちろんですが、たとえば『アルプスの少女ハイジ』『ニルスのふしぎな旅』などのテレビアニメや子どもむけ番組にも楽しみをもらっていました。今度は私が子どもたちを楽しませる作品を提供する番です。私にできる方法で、当時の自分や弟たちが楽しんだような作品を作りたいと願っています。絵本にはさまざまなものがありますが、私は子ども読者が面白いと思って読めるもの、読んで元気が出てくるものを、これからも作っていきたいです。(くどう・のりこ) 1990年、女子美術短期大学造形科グラフィックデザイン教室卒業。1999年『コバンツアーかぶしきがいしゃ』(偕成社)で絵本作家としてデビュー。絵本に、「ノラネコぐんだん」シリーズ(白泉社)、「ピヨピヨ」シリーズ(佼成出版社)、「ペンギンきょうだい」シリーズ(ブロンズ新社)、「センシュちゃんとウオットちゃん」シリーズ(小学館)など。漫画に、「ワンワンちゃん」シリーズなど。他に、童話やイラスト、エッセイなども手がけている。絵本作家・漫画家女 子 美で の 2 年 間 は 卒 業 が不 安 になるくらい 夢 のように楽しい日々でしたOG SPECIAL INTERVIEW 04工 藤 ノリコ
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