003ごっご遊びも本気で演出していた絵を描いたり工作をしたり。子どもの頃から物を作るのが 大 好きでした。おもちゃも、ないものは自分で。たとえば「歯医者さんごっこ」なら、ピンクの練り消しで歯茎をつくって、その上に白い小石を並べて歯をつくります。虫歯は黒く塗って、それを白い絵具でコーティングして治療して。ドイツ語みたいな文字を書いたカルテもつくりました。それから、TVドラマの影 響で 刑 事に憧れ、綿のついた耳かきにベビーパウダーをつけて、部屋中の壁や床をポンポンして「鑑識ごっこ」をしたりも。なかったらつくっちゃえ! そんな感じで、けっこうリアルにひとり遊びしていました。姉が1人いるのですが、こういう遊びには全然参加してくれないので、赤い紙を切って血だまりみたいなものをつくって、姉の部屋の前に敷いてその上で死んだふりをしてみたり。それでもやっぱり、遊んでもらえないんですが(笑)。細かいところにこだわって演出するのは、今も変わっていません。マイペースだけど、あったかいそんな幼少期を経て、母の勧めもあり中 学から女 子 美に通い 始めました。それまで周りから「変わってる」と言われることが多かったけど、女子 美に行ってみると、自分よりも変わった人たちが 大 量にいた( 笑 )。自分ってすごく普 通だったんだ!って思いましたね。女 子 美での10年間で、本当にいろんな子を見てきたから、もうどんな人を見ても驚かな大学3年の広告の授業が将来を決めるきっかけに業がきっかけでした。自由に作品を伝えられるかを考えるのが、クイズ緒だけど)あまり真面目な学生では締め切りギリギリだったり、就 職 活動ではみんなが 受けているからと広告代理店を受けて結局全部ダメ言ってくれました。その言葉に背中い(笑)。だけど、友達も先生もみんなすごく穏やかでのんびりしていて、どこかあったかい。それぞれにマイペ ースで、“自 分 は自 分”なん だ けど、でも人のことも喜べるというか。そういう友達や先生に囲まれてのびのびと育ってこられたから、自分のペースや自分の感覚を、そのまま生かして大人になれたのかなと思っています。グラフィックの道を本気で考えるようになったのは、大学3年の広告の授つくっているように見えて、実はけっこう制約がある。その中でどれだけを解いているようで楽しかったんです。そこで 広 告の面 白さを知って、アートディレクターという仕事に興味を持つようになりました。ただ、(内なかったから、課題に取り組むのがだったり。それで広告代理店の募集が終わったあと、デザイン事務所がいいかもって。それなら自分の好きな広告をつくっている事務所がいいなっていろいろ考えていた時に、当時お世話になっていた助 手の先 生が、大 貫 卓也さんのところとか合いそうだねってを押されて応募したのが、大貫さんとの出会いのきっかけでした。OG SPECIAL INTERVIEW 01
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